貧民語ぽいぽい講座B






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貧民語 でぶぶー
貧民ほどメタボ率が高い



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貧民語 おまいら
明治維新
標準語として山の手言葉と江戸っ子言葉が対峙した
結局、下町言葉は却下された
「おまいらは貧民語じゃね」となっちまってでやんす



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貧民語 どや顔、上から目線
偉そうに言われると腹が立つけどねー
言われている内が花なのさ

























本文

2012年3月日

本日の教育方針
武士に至る道
「イタい」とか「価値観がどうのこうの」とか
ええい、女々しい貧民語を使いおって


月岡芳年画
叩き斬ってくれるわ!







「まぁ、痛々しくてみていられないわ」
ここから派生した「イタい」は
明らかに女言葉です

価値観がどうのこうのも
同型交配と同じ意義ですね
つまり
地元定着型草食の偏狭意識です



「韓信の股くぐり」の逸話が示すように
男は些細な面子にこだわらない
上の絵画は達磨の股くぐり
理想とされる男の生き様の一つです

江戸を火の海から救った二人の英傑
西郷隆盛と山岡鉄舟は、共に
今でいうイタい青春を送っていた

鉄舟は極貧に喘ぎ、道端の草まで食した
隆盛は役人の非道を告発し
藩主にまで苦言を呈したため
沖永良部島に流された


これが西郷隆盛の真実の姿を現した像と信じたい
現在流布されている西郷どんの風貌は
妻も「全く違う」と驚愕したように
明らかなミステイクだ


それに、どんぐりまなこの南方系の顔つきからは
愚直に正義を貫く一徹さが伝わってこない



山岡鉄舟も歯に衣着せず
甘言を好まない一徹な漢だった
188cmの長身から繰り出される剛剣は
1日で200人を撃破したと伝えられている

寛永寺大慈院で謹慎する慶喜を警護中の高橋が、義弟で剣客の鉄舟を推薦し慶喜に謁見させ、薩摩への使者となった

薩摩人益満休之助の先導を受けて、敵陣の真っただ中を「朝敵徳川慶喜家来、山岡鉄太郎まかり通る」
と大音声で叫びながら堂々と歩いていった

この報を受けて、村田新八と中村半次郎が斬り殺そうと後を追った。しかし、追いつけぬ間に鉄舟は西郷との面会を果たした

後に村田がこの旨を鉄舟に話すと、鉄舟はこう言って、共に、大笑いした。「それはそうだろう。わたしは江戸っ子だ。足は当然速い。貴君らは田舎者でのろま男だから、わたしの足の速さにはとても及ぶまい」

後に明治天皇の教育係に従事するが
ここでも
媚びへつらうことなく天皇を鍛え上げたとか

西郷は鉄舟を、こう評していた。「金もいらぬ、名誉もいらぬ、命もいらぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」

鉄舟は52歳でこの世を去った
辞世の句がこれです
「腹痛や苦しきなかに明けがらす」

そして手に打ち羽を握り
座禅を組んだまま大往生を遂げた
最後の最期まで漢(おとこ)を貫き通した

ちまちまと人のそぶりを見ては
こそこそと「イタいわ」と呟き
人の白い眼を気にして「イタい」ことを避けたがる

はぁ!?

蠅の糞ほどのちっちゃな自尊心をぶらさげて
「あらイタい」って
どーゆーこと

男女を問わず
草食系の女々しさ丸出しではござらぬか
武士の矜持は
何処に隠し持っておられるのか
えっ
あたいは武士じゃねーよって?
す、すみません貧民さんでございましたか


月岡芳年画
おぬしは貧民なのか
へぇへぇ、御覧の通りの者でごぜぇやす





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